「看護師だからこそできることは何だろう?」
そう自問しながら働いていた私が、訪問看護で出会った一言があります。
それは――
「来てもらえるだけで安心する」
症状が変わらなくても、治療が進まなくても、「安心」を届けられることが看護の力。
今回は、私が訪問看護で体験したエピソードから学んだことをお伝えします。
訪問看護で利用者様から学んだ「安心」という価値
ICUで働いていた頃の私は、患者様の症状を少しでも改善させるために必死でした。
挿管中の方には体位変換や排痰ケア、ルート管理、保清…。
改善が見られない患者様もいましたが、声を出せなかった方が歩いて退院する姿に大きなやりがいを感じていました。
そんな私が訪問看護に憧れたのは学生時代。
実習先で出会ったご利用者様が、担当の看護師さんを“ヒーロー”のように語ったのです。
その時のケアはバイタル測定程度。それでも「来てもらえるだけで安心なんです」と言われ、私は衝撃を受けました。
そして、実際に訪問看護師として働き始めて1年目。
認知症で独居の女性を担当しました。
彼女は人との交流が大好きで、毎日喫茶店に通っていましたが、認知症の進行により迷子やトラブルが増え、私たちの支援が始まりました。
やがて急激な貧血、検査で見つかったステージⅣの子宮がん。
病名も余命も告げられましたが、彼女は覚えられません。
「自分の体はどうなっているのか」という不安だけが残り、心身ともに苦しい日々。
それでも彼女は、人を思いやる言葉を欠かさない方でした。
「雨の中ありがとうね」「お子さん送ってきたの?朝早くにすまないね」
誰もが「彼女を笑顔で見送りたい」と願っていました。
しかし、病状が悪化するにつれ、笑顔は減り、夜に独りで泣く日も…。
そんなある日。
訪問すると、彼女は私の顔を見た途端、久しぶりに笑顔を見せてこう言いました。
「あぁ、やっと来てくれた。その顔と服の色を見ると安心するよ」
認知症のため私たちの名前や顔を覚えられなくても、「安心する存在」として心に刻まれていたのだと気づいた瞬間でした。
間もなく彼女は眠るように旅立ちましたが、きっと苦しみは少なかったと思います。
訪問看護で気づいた“変わらないこと”の大切さ
訪問看護では、慢性疾患や高齢による変化など「すぐに良くならない状況」と向き合うことが多いです。
時には「来ても変わらない」と契約終了になることもあり、無力感を覚えることもありました。
けれど、私は思います。
在宅医療においては「変わらないこと」こそが意味を持つのだと。
夜に眠れ、朝に起きられること。
昨日と同じように食事ができること。
自然に排泄できること。
その小さな積み重ねが「安心して暮らせる毎日」につながるのです。
訪問看護で安心を届ける方法|言葉と関わり方の工夫
安心を届けるために特別なことは要りません。
日常の中の小さなやり取りが大切です。
• 「おはようございます」と名前を呼んで挨拶する
• 「前回より歩きやすかったですね」と小さな変化を一緒に喜ぶ
• 「大丈夫ですよ、一緒にやってみましょう」と伴走する
その一言一言が「安心のしるし」になります。
看護師としての知識や技術も大切ですが、「あなたが来てくれたから安心」という存在になることこそ、訪問看護師の力だと感じています。
私の人生の教科書でもある『7つの習慣』には、人との関わり=ストロークの大切さが書かれています。
関心のある方はぜひ手に取ってみてください。
誰もが誰かの“安心”を支えられる|訪問看護から広がる気づき
「安心」という言葉は、医療現場だけのものではありません。
子どもが「おかえり」と迎えられるとき。
大人が「大丈夫だよ」と背中を押してもらえるとき。
私たちは誰もが、安心を受け取り、そして誰かに渡すことができます。
友達の話をただ聞いてあげることも、立派な“安心の贈り物”です。
安心は特別な人だけが与えられるものではなく、誰もが日常の中で渡せるものなのです。
まとめ|訪問看護で学んだ“安心の力”を日常にも活かす
看護師として働く中で、私は「安心」という言葉の重みを何度も実感してきました。
安心があるからこそ、人は困難に立ち向かえる。
訪問看護を通じて学んだ「安心の力」を、これからも子どもたちや地域の方々、そしてこの記事を読んでくださった方々に伝えていきたいと思います。
そして、読んでくださったあなたも――
今日、誰かに小さな「安心」を届けてみませんか?
この記事を書いている私は、訪問看護師として児童虐待防止にも関わっています。
その想いはこちらで詳しく書いています。

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