" /> 私が児童虐待防止を伝え続ける理由――訪問看護師として、ひとりの親としてできること―― - ぴぽん、おうちのこと

私が児童虐待防止を伝え続ける理由――訪問看護師として、ひとりの親としてできること――

子育て

はじめに|「知ってしまった」から、もう戻れなかった

私は社会人になってから、ずっと看護師として働いてきました。

病院勤務時代も、訪問看護師として働く今も、専門は小児ではありません。

正直に言えば、子どもと深く関わる機会はほとんどありませんでした。

そんな私の意識が大きく変わったのは、自分が親になってからです。

ニュースで報じられる児童虐待死。

それまで「つらいニュース」だったものが、

「自分の子と重ねてしまう現実」に変わりました。

胸が苦しくなり、

目を背けたくなり、

それでも消えない問いが残りました。

「この子たちは、何のために生まれてきたのだろう」

「なぜ、誰も止められなかったのだろう」

この記事は、

私が“児童虐待死をゼロにしたい”と本気で思うようになった理由と、

その思いを、なぜ発信し続けたいのかをまとめたものです。

児童虐待死のニュースを「見たくなくなる」ほど苦しくなった理由

子どもが生まれてから、

子どもに関するニュースは自然と目に入るようになりました。

事故、事件、そして虐待。

特に児童虐待死のニュースは、

読もうとしていなくても心に突き刺さります。

怒り、悲しみ、やるせなさ。

時には、

「同じ思いを味わわせてやりたい」

そんな感情が湧いたことも、正直にあります。

けれど、どれだけ憤っても、

ニュースはなくなりませんでした。

それどころか、

同じような報道が何度も、何度も繰り返される。

そのたびに、

「怒るだけで、私は何もしていないのではないか」

という問いが残るようになりました。

訪問看護で見えた、虐待の“背景”という現実

病院では診療科が分かれているため、

小児科でなければ子どもと関わることはほとんどありません。

しかし、訪問看護は違います。

ステーションの方針にもよりますが、

0歳から100歳を超える方まで、生活の場に入る仕事です。

私が勤める訪問看護ステーションも、

当初は高齢者中心でしたが、認知度が上がるにつれ、

• 保健所

• 医療機関

• 関係機関

からの依頼が増え、

虐待疑い・一時保護後の子どもや家庭への関わりも少しずつ増えていきました。

そこで私が見たのは、

「加害者」「被害者」という単純な構図ではありませんでした。

訪問先で見えてきた現実

• 親が心身ともに限界を超えている

• 子どもに特性があり、関わり方が分からない

• 親自身が虐待を受けて育ち、「普通の関わり方」が分からない

• 誰にも相談できず、孤立している家庭

問題はひとつではなく、

複数の要因が絡み合い、少しずつ追い詰められていく過程がありました。

この現実を知ってから、私は「虐待」という言葉を、簡単に誰かを断罪するためには使えなくなりました。

「知らないこと」が、虐待を深刻化させる

虐待をしてしまう親の多くが、

• 自分が虐待をしていると気づいていない

• 相談先を知らない

• 助けを求めることを「甘え」だと思っている

という現実があります。

そして周囲の大人も、

• どこに通報・相談すればいいのか分からない

• 関わることで事態が悪化するのではと怖い

そんな理由で、見て見ぬふりをしてしまう。

私は訪問看護師として、この「知らない」「つながれていない」状態こそが、児童虐待死を防げない大きな要因だと感じています。

これから私がしたいこと|小さくても、確実に

正直に言えば、私はまだまだ勉強不足です。

児童虐待防止について調べれば調べるほど、

• 支援団体

• 研修・セミナー

• 法制度

• 現場の葛藤

知らないことが次々に出てきます。

だからこそ今の私は、

• 学び続けること

• 現場の声を聞くこと

• 自分の言葉で、分かりやすく伝えること

を大切にしたいと思っています。

訪問看護師として。

一人の親として。

そして、児童虐待死を「他人事にしたくない人間」として。

最後に|「救えなかった命」を、無駄にしないために

児童虐待死のニュースの裏には、

**必ず「もっと早く気づけたかもしれない瞬間」**があります。

• 誰かが話を聞けていたら

• 相談先につながれていたら

• 「助けて」と言っていいと知っていたら

救えたかもしれない命。

私は、

その可能性をゼロにしたくありません。

このブログは、

• 今まさに追い詰められている親へ

• 迷いながら支援に関わっている訪問看護師へ

• 児童虐待防止に取り組むすべての人へ

向けて書いています。

ひとつの記事で命は救えないかもしれない。

でも、誰かが「相談してみよう」と思うきっかけにはなれる。

その小さな連鎖を、私は信じています。

もしこの文章が、

誰かの「立ち止まるきっかけ」や「助けを求める一歩」になったなら、

それ以上のことはありません。

どうか、今苦しんでいるあなたに届きますように。

コメント

タイトルとURLをコピーしました