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在宅終末期で起きた「点滴をめぐるすれ違い」|訪問看護師が感じた意思決定の難しさ

訪問看護

※この記事は、訪問看護の現場での実体験をもとにしていますが、
個人が特定されないよう内容の一部を変更・抽象化しています。
特定の医療機関・医師・利用者・ご家族を批判する意図はありません。

本記事は「医療的な正解」を示すものではなく、
在宅終末期医療における意思決定の難しさや専門職の葛藤を共有する目的で書いています。

実際の医療判断は、必ず主治医・訪問診療医・訪問看護師と相談のうえ行ってください。
内容に心理的負担を感じる場合は、無理のない範囲でお読みください。

在宅療養の現場では、
「医学的に正しい判断」と「本人の気持ち」が同じ方向を向かないことがあります。

今日は、訪問看護師として関わった終末期のケースで、
私自身が深く考えさせられた出来事について書きたいと思います。


医療的には「介入を考える時期」だった

がん末期の診断を受けている男性の方。
先週まで化学療法を続けていましたが、直近の受診で採血データの悪化と、治療効果が乏しいことが主治医から説明されました。

在宅では、
・3〜4日ほとんど食事が摂れていない
・水分摂取は1日約300ml
という状況でした。

訪問診療も入っており、
「在宅で点滴をお願いしたい」という情報提供が、治療を行っていた病院から届いていました。

医学的な視点で見れば、
脱水や栄養状態の低下に対して、何らかの介入を検討するタイミングだったと思います。

男性の息子・娘さまも集まり、点滴の必要性をお話ししました。

ご本人、奥様はピンと来ていないのか渋っていましたが、息子さま方の強い希望で
訪問診療の医師に状況を共有し、往診を依頼しました。


届いたのはTPN、そして生まれた違和感

医師の判断で、TPN(中心静脈栄養)が指示されました。
24時間投与が必要であることを、本人とご家族に説明しました。

すると、返ってきた言葉は、

「それは話が違う。自分はまだ動けるのに。風呂はどうするの?」
「それなら、次の化学療法の受診時に主治医に確認してから判断したい」

そして、ご本人からはこう言われました。

「ちょっと先走りすぎじゃない?
もっと動けなくなってからでもいいんじゃない」

その言葉を聞いた瞬間、
私は「気持ちを汲み取れていなかったのではないか」と感じました。


医療のスピードと、心のスピード

振り返って思うのは、
この場面で起きていたのは「誰かの間違い」ではなく、
意思決定のスピードのズレだったのだと思います。

医療者は、
・悪化を予測する
・今後起こりうるリスクを考える
・「今やらなければ後悔するかもしれない」と感じる

そうした思考で動きます。

一方で、本人にとっては、
・まだ動けている
・まだ自分で決めたい
・「終末期の選択」を急がされたくない

そんな気持ちが自然だったのだと思います。


在宅で本当に難しいのは「正しさ」ではない

在宅医療・訪問看護の現場で難しいのは、
医療的な判断そのものではなく、

「いつ、その選択をするか」

というタイミングです。

正しい判断でも、
本人の心が追いついていなければ、
それは「先走り」に見えてしまうことがあります。


看護師として学んだこと

この出来事から、私は改めて感じました。

在宅では、
・正解を急がないこと
・本人のペースを尊重すること
・「今できる選択」と「まだ選ばなくていい選択」を分けて考えること

それが、医療の一部なのだということを。

看護師は「支える側」であると同時に、
決断を急がせない存在でいることも役割なのかもしれません。


おわりに|答えのない場面で立ち止まるということ

終末期の在宅療養には、
誰にとっても簡単な答えはありません。

医療者も、本人も、家族も、
それぞれの立場で必死に考えています。

この出来事は、
私にとって「失敗」ではなく、
在宅という場でしか学べない問いでした。

同じように悩み、立ち止まる医療者が、
「自分だけじゃない」と感じてもらえたら――
そんな思いで、ここに記録として残します。

訪問看護で感じたコミュニケーションの難しさはこちらにも書かれています。

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